オセロニアンの宴とデッキ選択の”自由”
下手くそ耐久に絡まれて終わったがーー、勝ったけどそういう問題じゃねぇ
— コイキングアズマ (@azuma_sst) 2017年7月2日
デッキは悪くなかったし勘弁して欲しいぞ pic.twitter.com/Pat8nzBxLH
まあそんなわけでオセロニアンの宴は残念ながら予選敗退だった。
でもいろんな方と話せたし、決勝も熱い勝負で非常に楽しいイベントだったのは間違いない。
以下、ツイッターに垂れ流せない愚痴
で、なんでツイートのようにキレてるのか。
それは、勝ちを目指してない奴に勝ちを目指している僕が一方的に邪魔をされたからだ。
では、勝ちを目指すとはどういうことなのか、それは勝利条件の達成を目指すということである。
オセロニアの対戦での勝利条件は、先に相手のHPを減らし切るか、駒を置ききったときに相手よりHPが高いこと。
ではオセロニアンの宴予選の勝利条件はこれと同じなのか、もちろん違う。
宴予選での勝利条件は、40分という限られた時間の中で対戦で勝つことで得られる得点を集め、黒と白の各チーム内で上位2位に入ることだ。
過去の宴予選での結果では最低でも7得点ほどは手に入れなければ上位2名に入ることはできないことがわかっている。
また、それを知らずとも1チーム100人ほどで勝率50%だとして、6連勝する人が2人ほどは現れる計算ができる。
つまり勝利条件の達成には最低でも40分内に6回勝ち越せるデッキ選択、プレイをする必要があるのだ。
僕が対戦した耐久デッキとの勝負は17分を必要とした。
1試合15分だとしても40分の中で3戦しかできないのだから、耐久デッキを選んだ瞬間に最大得点数は3となり、勝利条件の達成ができない、つまり耐久デッキ使用者は勝ちを目指していないことになる。
普段の対戦で、勝利より自分の好きな駒を使いたい、コンボを決めたいという理由でオセロニアをプレイしている人も多いだろう。
勝ちを目指さないこと自体はいい、彼らは勝利条件の達成を目指す対戦相手に迷惑をかけていないからだ。
しかし宴の予選はどうか、耐久デッキと対戦したプレイヤーは強制的に15分拘束される、これは明確に勝利を目指しているプレイヤーに迷惑をかける行為である。
何のデッキを使おうが自由だろう、なんて寝言を言う人もいるかもしれない。
もちろん世の中での各人の行動は基本的に自由である、他人に迷惑をかけない範囲でという枕詞が付くが。
J.S.Millの自由論曰く、
自由の名に値する唯一の自由は、われわれが他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしないかぎり、われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である。
耐久デッキ自体に文句を言っているのではない。
現在のクラスマッチなどでの耐久デッキは勝利条件の達成を目指す上での選択であって、対戦において勝利を目指している限りはどんなことであろうと、対戦相手に迷惑をかけるとは言わない。
耐久デッキを使用した僕の対戦相手は、対戦前にごめんなさいとあやまってきた。(正直これに一番腹が立つ)
彼は自分が対戦相手である僕に迷惑をかけることをわかっていたというわけだ。
万が一算数ができなくて、耐久デッキでも予選を突破できるとそう思っている脳無しならそれはそれで仕方ない。
その場合耐久デッキは彼にとって勝利を目指す上での選択であって、対戦相手に迷惑をかけることではない、当然謝ることでもなく胸を張って対戦に挑むだろう。
対戦前の謝罪は、自分はあなたに迷惑をかけて勝つよりやりたいことをやるクソオナニー野郎です、でもやめません、そういう意思表示にほかならない。
僕が彼のような人間へ思うことは、僕にかかわらないでくれ、もしくは死んでくれ、以上だ。
よし、戦は頑張るぞ!